AtelierMina’s blog

うさぎと雑草と旅が好き 絵を描いたり旅行記を描いたりしています

舞台「はしれ音楽列車~歌ごえは7色のけむり~」

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あらすじ

音楽で走る汽車が発明された!
今日は完成パーティーと汽車の試乗会の日。
ところが招待客が一人多い。
怪盗フォルテが招待客に混じって汽車に乗ってしまったらしい!
フォルテはまんまと汽車を乗っとるが、音楽がなくては汽車は動かない。
そこで一人、また一人と乗客を連れてきて歌わせる。
何度目かの挑戦でついに汽車が7色の煙をはいて動き出す。
しかしそのときには乗客全員が怪盗の周りを取り囲んでいた。
乗客たちは怪盗を捕まえようと奮闘するが、もうすこしというところで取り逃がしてしまう。
怪盗は逃げてしまったけど、汽車は無事だった。
はらぺこの汽車にみんなで音楽を食べさせて、さあ旅はここからだ!(終)

*   *   *   *   *   *   *   *

劇団人の森ケチャップの第二回公演に行ってまいりました!

今回は、3月31日のみの舞台で、二回公演です。
私は二回目の16時の回を見に行きました。
15分前に着くように調べた電車に乗ったはずだったのに、松戸駅についたのは開演5分前!
走りました^^;
前日パンフを届けにきていてよかった!
そうでなければ道に迷って5分以内には着くことができなかったでしょう。
ギリギリで会場に滑り込みました。
約300席の場内は、思ったよりもたくさんの人がまんべんなく座っていました。
出演者のご家族や友人の方たちなんだろうな、と一目で分かる雰囲気。
最前列でうれしそうに幕が開くのを待っているおばあさまが目に入り、なんだかうれしい気持ちになりました。
座席には、昨日これまたギリギリで届けたパンフレットが置いてありました。
折り紙のアンケート用紙も挟まっています。
会場にいる人全員がこれを持っているのかと思うと、うれしいやら恥ずかしいやらで、小さくなっていました。


ほどなくして、場内の灯りが落ち、開演を知らせるブザーが鳴り響きました。
続いて場内アナウンス。
期待が高まります。
「それでは出発です!」
汽笛の音。
音楽が流れ出しました。

*   *   *   *   *   *   *   *


劇団人の森ケチャップは、私の友人が所属する、大学を出たばかりの若い人たちによる劇団です。
去年、わたしは彼らの旗揚げ公演を見て、ショックを受けました。
舞台には、劇団員と、障害を持つ子供たちがいました。
(そのときの詳しい話はコチラ http://blogs.yahoo.co.jp/minaumezawa/34156701.html

しばらくしてから、私は劇団のボス(?)田中さんに何か手伝わせてもらえないかと申し出ました。
そして、今回の公演において、チケット、チラシ、パンフレットの制作をさせていただきました。

今回の舞台は、前回と違うところがたくさんありました。
何よりも強く感じた変化は、舞台で一番輝いていたのは障害者だったこと。
見終わって、一番印象に残っていたのは、彼ら障害者の演技だったのです。

(障害者、という言葉が適切かどうか分からないのですが、この記事内では以下便宜上そう呼ばせてください。ご理解お願いいたします)

一回目の舞台では、劇団員と障害者がからむシーンは少なく、ストーリーを動かすのは劇団員でした。
しかし今回は、障害者が舞台にいないシーンは、ほとんどなく、常に障害者と劇団員がセリフのやりとりをし、動いていました。
彼らの中にはあまり早く歩けない子、言葉がはっきりと発音できない子もいます。
しかし、舞台を作る上では不利だと思われるそれらの要素を、脚本と演出で見事にカバー。
むしろ欠点が面白さになっているのには本当に感心しました。
障害者のこどもたちの、舞台上で自由に振る舞う様子がおもしろくて、もっと何かやらないかな!と期待してしまうほどでした。
自由で自然体。とはいえ自由すぎては舞台になりません。
そこのところはきちんと抑えてあるのもすごかった。
わたしは障害者の方たちと長い時間すごしたことがないので想像なのですが、彼らがそろって同じ動きをしたり、黙っていたり、タイミングにあわせて声を発することは容易ではないと思われます。
それを、彼らはこなしていました。
ストーリーから逸脱するような行動をとる子供はいませんでした。
それにはもちろん劇団員のフォローも不可欠です。

彼ら劇団員の舞台上での様子も前回とは違って見えました。
前回は、はみでた行動をするこどもを制する動きが目について、その行動こそが舞台からはみでた動きに見えていました。
今回も、障害者何人かに劇団員がひとりついてフォローやきっかけ出しをしていたのですが、それが舞台の中にうまくとりこまれていたため、目に止まっても自然な動きととらえることができました。

たとえば、車掌役の子には車掌助手という役で劇団員がついていました。
助手なので、車掌の動きを助けるのは当然、という設定になるわけです。
音楽列車に乗り込む研究者たち4人には言語学者という役で劇団員がひとりつきました。
実際に客席と舞台の通訳の役割を果たし、大事なセリフのときは声を合わせて同時に叫びました。
ナイスアイディア。

このような、無理なく自然に障害者に演技をさせる工夫がそこかしこで見られました。
これは脚本家であり、座長である田中さんの力によるところが大きいのでしょう。
田中さんの弟さんは障害者です。
そしてお父様がびわのき基金代表理事をつとめておられます。
家族に障害者がいるからこそ、このような舞台を作ることができたのだろうと思いました。


見終わって、これだ、これが見たかったんだ、と確信しました。
はっきり言ってうまくはないのです。
でも見る価値があると私は思いました。
次からパンフにこう書いてもいい。

「うまい演技が見たかったらよそへ行ってください。
 きれいなダンスがみたかったら他へ行ってください。
 でも、他にはないものが、ここにはあります」


以前は、障害者とともにやることは、ハンデにしか思えなかった。
今回の舞台を見て、障害者とやることは劇団の力になっていると感じたのです。
ウリになる、という言い方をすると下世話だけども、方向としてはそういうかんじ。
劇団人の森ケチャップとびわのきの子供たちの舞台で表現されるものは、一般的な舞台とは違う。
そのことを明確に出していってもいいんじゃなかろうか。
この舞台にはエネルギーが溢れていました。
太陽がたくさんあってキラキラ光っていました。
障害者と健常者が同じ社会に生きるってこういうことなんじゃないの?
なんて大げさなことを考えてしまうくらい。


本当は、誰かのためにしてあげたことは、自分のためになっていた。

障害者とともに舞台を作る上で劇団員たちは相当な苦労をしたと思う。
でもそのことで逆に自分が助けられたり、なぐさめられたり、はげまされたりしたことがたくさんあったんじゃないかと思う。
舞台から飛び降りそうになった子の手を引く劇団員の顔はとっても優しかった。


場所が松戸だったことも良かった。
こどもたちが集まる「びわのき」(NPO法人びわのき基金)があるのが松戸だからだ。
いわば地元。
そのおかげでお客さんは子供たちの親類縁者がほとんど。
舞台終了後のロビーは演者とお客様でごったがえした。
こんなあたたかいロビー初めてみました。
どの顔も本当にうれしそう。
こうやって、彼らのことを知っている人たちの和がどんどん広がっていったらいいな、、、
そんなことを思いました。


今年中にまたもう一回公演があるらしい?
もちろん、またお手伝いさせていただくつもりです。
詳細が決まり次第、お知らせいたします。
今更いいわけがましいですが、以上はすべて私見でございますので、劇団の意図とは関係ありません。あしからず、、、
長文におつきあいいただきありがとうございました。m(_ _)m