AtelierMina’s blog

うさぎと雑草と旅が好き 絵を描いたり旅行記を描いたりしています

障害を持つ人と共にモノをつくる難しさ。

個展が終わってからすっかり惚けていて更新が滞っております。
一昨日は注文いただいたポストカードをプリントしようとしたら、ケーブルをうさぎに噛み切られていました。
無惨な姿のケーブルを持ってヨドバシに行きましたが、このタイプはもう生産していないと言われショックで落ち込みました。
気を取り直してヤフオクで同機種を探したところ、幸いにもケーブルのみ出品している方がいてラッキー!!

私はかなり前のプリンターを使ってポストカードを作っております。
粒子の荒い感じが気に入っているからです。
しかしこのプリンターが動かなくなる日も近い。
中古市場からも無くなる日が来る。
うーん。


さて、その前の前の日だったかな?
妹同前の友人の初舞台を観に行きました。
演劇専門学校卒業後、先輩の立ち上げた小さな劇団に所属。
その名も「人の森ケチャップ」。
今回が初舞台、旗揚げ公演でした。
タイトルは「夜空にガオー」。
3日間で5公演。
出演は歳の近い若い女の子たち5人。
それと知的障害をもつ子供達9人。
座長の弟さんがいる施設のこどもたちです。
弟達を巻き込んで演劇をしたい、という思いから立ち上げた劇団なのだそうです。
そのことは友人から聞いていました。
しかしチラシ、当日パンフレットにもそのことについての記述はなく、舞台挨拶でも触れられませんでした。
彼等を差別しない意図でそのようにしたのか、真意は分かりませんが、かえって客は戸惑ったように感じました。
舞台の内容はダンス、歌を織りまぜながら最少人数の対話で進み、1時間20分ノンストップ。
死んでからゼロになるまでの間に乗る列車の中での人間模様。
死んだばかりの女、列車に乗り続けている女、乗客にちょっかいを出して楽しんでいる魔女、車掌、鳥たち。

ひさしぶりに演劇をみましたが、皆さんとても上手だった。
けれど、障害をもつ人と共にモノづくりをすることの難しさと、受け止める難しさを痛感する舞台でした。

ふだん見なれない彼等の言動にどうリアクションしていいかわかりませんでした。
主に全員でのダンスシーンに登場しましたが、動きはそろいません。
舞台からハケるときも他の出演者が誘導しているのが目についてしまいます。
大丈夫だろうか、とハラハラしてしまってこちらが緊張しました。
彼等を演者のひとりとしてみることができない自分に軽い罪悪感を感じました。
かれらがでてくるとどうにも劇に集中できなくなり、列からはみでるような行動はできるだけ見ないようにし、彼等がハケるとホッとしました。
障害者だからああいうふうになっても仕方ない、障害分差し引かれてるんだらそのぶん上乗せして考えればよくやったなどと常に計算して、なんとか自分の気持ちを落ち着かせようとしました。
しかしそれは正当な評価ではありません。
今回の公演は、彼等のダンスはお遊戯会並みで、それが面白さには繋がっていなかった。
せっかくの彼等がいるという大きな特色を劇団員たちは活かしきれず、私たち観衆は受け入れられなかった。

アンケートはさんざんだったようです。
しかし劇団の皆さんはこれからも子供達とともに舞台をつくっていく意志をもっています。
どうしたらもっといい舞台が作れるでしょうか。
わたしは演劇経験は無いに等しいので、何年もそのことを体で学んできた劇団員たちにむかってエラソウなことは言えないのですが、どうにも気になって考えていました。

こどもたちを主役にする。

セリフと出番が一番多いという意味の主役ではありません。
見終わった時に、あの子たちが一番輝いてたね、と言えるような舞台。
彼等が一番良く見えるために劇団員達がいるような舞台。

こどもたちのダンスが下手に見えたのは、子供達以外の人間だけきれいに揃っていたからとも言えます。
こどもたちが浮いて見えたのは、子供達以外の人間の演技が非常に演劇らしい演技だったから、とも言えると思うのです。
この劇団の公演の場合には、見る側にも努力は必要だと思います。
努力がいらないことが理想ですが、社会の中で障害者に対してわたしたちは偏見をもっているのだからそれが無くならない限り、彼等の公演に対して偏見をなくして見る努力は必要です。
偏見をなくして見る、というのは、彼らをそのままに見る、という意味です。
障害をもっているんだから仕方ない、とか、それなりによくやった、という評価ではなく、また障害がないものと思って見るのでもない。
舞台を見て私が自分自身の中に見た偏見とは、彼らに対する無知と不慣れでした。
偏見、というのは言葉が違ったかもしれません。
知らないモノへの戸惑いと恐怖から、彼らを見て見ぬ振りをしたのです。

もっとまっすぐに彼らを見るためには、もっと私たちが彼らを知ることが必要です。
そのために、劇団の方達からもう少し手助けをしてもらえたらと考えました。
チラシやパンフレット、挨拶で障害をもった子供達について語ってもらいたい。
いずれ劇自体がそのメッセージになっていくかもしれませんが、彼等にも私たちにもまだそこまでの力はありません。
少しでも偏見なく観劇を楽しむために、舞台に込めた思いをもっと聞きたいと思いました。

彼等は次の公演の準備を始めた様です。
楽しみにしています。